
醤油がなかった時代、刺身には何をつけていた?
刺身を食べるとき、醤油をつけるのは当たり前。わさびを溶いて、醤油皿に少し垂らして……。
でも、この食べ方が一般的になったのは、実はそれほど昔のことではありません。醤油が庶民に広まったのは江戸時代後期から。それ以前、人々は刺身に何をつけて食べていたのでしょうか。
室町時代は「酢」が主役
室町時代末期、1489年頃に書かれた「四条流包丁書」という料理書には、刺身の食べ方が記されています。
鯉・鯛・鱸などの刺身には、「わさび酢」「生姜酢」「たで酢」をつけて食べるとされていました。つまり、室町時代の刺身は酢が主役だったのです。
酢には殺菌作用があり、生魚を安全に食べるための工夫でした。わさびや生姜、たで(タデ科の辛い葉)などの薬味を加えることで、魚の生臭さを消し、風味を引き立てていたのです。
江戸時代の「煎り酒」ブーム
江戸時代になると、新しい調味料が登場します。それが「煎り酒(いりざけ)」です。
煎り酒とは、日本酒に梅干しと削り節を入れて煮詰め、漉したもの。室町時代後期から使われ始め、江戸時代中期まで刺身に欠かせない調味料として広く愛用されました。
なぜ煎り酒が人気だったのか。当時の醤油は高級品で、一般家庭では手が届かなかったからです。煎り酒は日本酒と梅干し、削り節があれば作れるため、庶民にとっても手軽な調味料でした。
また、煎り酒には醤油にはない特徴がありました。塩分が少なく(醤油の約1/13)、出汁のうま味が効いているため、白身魚の繊細な味を引き立てるのに適していたのです。
江戸時代の料理書には、煎り酒以外にも「辛子酢」「山椒味噌酢」「酢味噌」など、多彩な調味料が登場します。鯉の刺身「あらい」を酢味噌で食べるのは、この時代の名残りです。
醤油はいつから「当たり前」になったのか
醤油の生産自体は室町時代末期から盛んになっていましたが、まだ高級品でした。
江戸時代初期、上方(関西)から「下り醤油」と呼ばれる醤油が江戸に運ばれてきました。1726年時点では、江戸で消費される醤油の約76%が上方産でした。
しかし、千葉県の野田や銚子を中心に関東でも醤油生産が盛んになると、状況が一変します。江戸川や利根川を使った水運により、新鮮な醤油を早く届けられるようになったのです。
江戸の嗜好に合わせた「濃口醤油」が開発され、天ぷら、蒲焼、寿司といった料理が完成していきます。醤油は江戸の食文化に不可欠な要素となりました。
そして江戸時代後期、江戸近郊での醤油生産が拡大し、庶民も手軽に醤油を使えるようになると、「刺身に醤油」という今に続く食べ方が一般化していったのです。
煎り酒は今でも作れる
煎り酒は一時期忘れられた調味料となりましたが、近年は塩分控えめで出汁の効いたヘルシーな調味料として再注目されています。
作り方はシンプルです。
- 日本酒に梅干しと塩、お好みで昆布を入れて中火にかける
- 日本酒が半分になるまで煮詰める
- 鰹節を加えて弱火で5〜6分煮詰める
- 粗熱を取ったら漉して完成
冷蔵庫で2〜3週間保存できます。刺身だけでなく、おひたしや焼き魚、和風パスタにも使える万能調味料です。
まとめ
醤油がなかった時代、刺身には様々な調味料が使われていました。時代ごとに整理すると、このような変遷をたどります。
- 室町時代: わさび酢、生姜酢、たで酢などの酢ベース
- 江戸時代: 煎り酒、辛子酢、酢味噌など多彩な調味料
- 江戸時代後期: 醤油が庶民に普及し、「刺身に醤油」が定着
現代では醤油一択のように思える刺身ですが、かつては魚の種類や季節に合わせて調味料を使い分ける、豊かな食文化がありました。
次に刺身を食べるとき、煎り酒や酢味噌を試してみるのも面白いかもしれません。一切れの刺身の向こうに、数百年の歴史が透けて見える——そんな体験ができるはずです。
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参考文献・出典
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